君と結婚することで、僕は生きる意味を失う

「男が一生に出会う女性の中で、本当に意味を持つ女は三人しかいない。それより多くもないし、少なくもない」

村上春樹の東京奇譚集 (新潮文庫)にある、とある短編小説の一節である。

高校生の多感な時期に村上春樹にハマり、この言葉と出会った。

ただの短編小説のひとつの言葉だったが、僕はなぜかこの理論にとても強く惹かれた。

なぜ三人なのだろう?

意味を持つ女性かどうかは、どうやって判別するのだろう?

色々と疑問はあったが、たとえ間違っていたとしても、この「思い込み」は美しいのかもしれない、と思った。

男が一生に出会う女性の中で、本当に意味を持つ女性はたったの三人しかいないのだ。

以来、僕はずっとその三人の女性を探しながら生きていた。


実を言うと、僕はすでに、その三人に出会ったという自負があった。

僕の人生は満ちている。

そういう思いで生きていた。


だから、君という人間が目の前に現れて、僕はいささか驚いた。

発する言葉に強烈なパワーがあり、僕はその言葉の虜となった。

「もしかしたら、すでに三人に出会ったというのは僕の勘違いだったのではないか?」

君はそれほど、不可解なほどの魅力があった。

僕は一種の「賭け」に出ることにした。


「君のことが好きだ」

そう初めて伝えたのは、1年以上前のことだった。

君は「ありがとう」と言って笑った。

少し、ずるいと思った。

だって彼女は、告白の返事をしなかったから。


僕の働く会社では、会社の締め会が、四半期に一回行われる。

そこでは四半期に成果を残したミッションやMVPが表彰され、一通り仕事の振り返りが終わった後に立食のパーティが行われるのが通例だ。

だが、今回は少し勝手が違った。

パーティに入る直前のタイミングで、僕は社長からマイクを渡された。

それは事前に打ち合わせされたものだった。

「それでは乾杯に入る前に、俊平から重要な発表があります」

僕はマイクを受け取る。

100人を目の前にして、僕はゆっくりと喋りだす。


告白の返事をして欲しい、と後日伝えると、次のような言葉が返ってきた。

「だって、付き合って欲しいとか、言ってくれなかったから、何も答えようがないでしょ」

なるほど、と思った。

好きです、は告白ではあるが、答えの要求は何もしていない。

「なるほど、分かった。じゃあ付き合って欲しい」

彼女が言葉に詰まるのが分かった。

「え?まじで言うてる?」

「まじで言ってる」

そのあと色々とディスカッションをした。

そしてこの日、僕は完全に振られた。

「同じ会社の人とは絶対に付き合わないって決めてるから」


しかし何故か、彼女は徐々に、僕のデートの誘いに応えてくれるようになった。

僕のしつこい誘いに折れたらしい。

二人で多摩川沿いを歩いた。

二人で映画を見に行った。

寝る前に電話をした。

彼女の気持ちが揺れてきているのが分かった。


これが最後、という思いでいた。

抱いていた僕の疑念は、確信に近くなっていた。

彼女は、僕の人生に強い意味を持つ、三人目の女性だ。


突然雨が降ってきたので、僕らは近くのビストロに飛び込んだ。

公園で最後のディスカッションをするはずだったが、店の中になってしまった。

幸いなことに、通されたのは話のしやすい個室だった。

彼女はやはり、付き合わない理由をいくつも挙げてきた。

僕はその付き合わない理由のひとつひとつに対し、解決する方法を丁寧に語った。

話し合いは1時間ほど続いた。


「よろしく」

そう言ってくれたとき、僕は笑いながら、泣いた。

彼女なりに長いこと悩んで出した結論は、僕の人生を変える決断だった。


「かねてよりお付き合いしていたリエさんと、結婚することになりました!」

マイクを片手にそう発表すると、四半期締め会の会場は絶叫の入り混じった歓声につつまれた。

「知ってた?」という驚きの声がいろんなところから聞こえてくる。どうやら、会社の人には付き合っていることがほとんどバレていなかったらしい。

バレそうになりながらも、一年間付き合っていることを隠し通した。

僕らの結婚発表は、大きなサプライズとなったようだ。


語弊を恐れずに言えば、僕はずっと、永遠の愛を探していた。

だから、好きになった人には告白をするということを自分の約束事にしていた。

そして運がいいことに、何人かの素敵な女性と付き合うことが出来た。

でも、結局どれも永遠の愛とはならなかった。


この感情はなんなのだろう。

この切なさはどこから来るのだろう。

僕は最愛の人との、永遠の愛を手に入れた。

それは長年ずっと求めていたものだったはずだった。

それなのに、寂寞の想いが僕を包み込む。

いやあるいは、ぽっかり空いてしまった心の穴なのかもしれない。

この気持ちをどのように表現したらいいのだろう。

どうしてこんな気持ちになるのだろう。

僕はこれから、何を目指して生きていけばいいのだろう。


「婚姻届って変じゃない?これを書くだけで家族になるんだねぇ。二人は何も変わってないのに」

君はボールペンを片手に口を尖らせた。

確かに変だ、と思う。

夫婦とは、唯一血が繋がっていない家族のことを言うらしい。

紙一枚を役所に提出すれば、どんな人間とでも夫婦になれる。

僕らは、そして、夫婦になった。


どうやら人生が次のステージへ進んだようだ。

「三人目」の女性と出会って、その女性と結婚して、僕は一つ、人生の目的を果たしてしまったように思う。

新しい「人生の目的」を、今度は二人で探さなくてはならない。

でも、それはきっと、これまでよりもずっとエキサイティングな旅になるはずだ。

{end}